バシリウス・ベスラーとその作品について
2012/05/16 09:40
ジャンル:ベスラー ボタニカルアート ビブリオアート 植物図譜 アイヒシュテットの園 植物学者
Category:ベスラー
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バシリウス・ベスラー(Basilius Besler)(1561-1629)は、ニュルンベルクの高名な薬剤師および植物学者で、ボタニカル・アート史上極めて重要な植物図鑑"Hortus Eystettensis"(『アイヒシュテットの園』)を出版した人物として最も良く知られています。
彼は、ババリア地方アイヒシュテットの司教を勤める、ヨハン・コンラート・フォン・ゲミンゲン(Johann Konrad von Gemmingen)と交流があり、司教が所有する庭園の園長を務めました。
司教は大変熱心な植物愛好家で、自ら所有する庭園の運営にも並々ならぬ情熱を傾け、その結果この庭園はその規模と植物の多様性において当時のヨーロッパでも最も重要な植物園の一つに数えられました。
司教のヴィリバルトブルク(Willibaldsburg)の邸宅は、町を見下ろす小高い丘の上に建てられ、この邸宅を囲むようにして庭園が営まれていました。
この庭園は、ベスラーの同僚であり、医師および植物学者でもあった、ヨアヒム・カメラリウス(Joachim Camerarius)(1534-1598)が1596年に設計しました。
カメラリウスの死(1598年)後、ベスラーは、カメラリウスが育てていた植物をアイヒシュテットに移し、そこで植物の栽培、管理を続けました。
司教は、この庭園で育てられていた植物の図譜の編纂をベスラーに命じましたが、しかしながらこれが完成するまでには16年を要し、司教は出版目前にして他界してしまいます。
当初ベスラーは、彼の兄弟やAugsburg(アウグスブルグ)出身のWolfgang Kilian(ヴォルフガング・キリアン)など、当時のドイツの優れた素描家、彫版工の支援を受け、出版の準備を進めましたが、司教が死去した後は、Nurnberg(ニュルンベルグ)のグループに引き継がれました。
植物図鑑『アイヒシュテットの園』が出版されるまでは、植物図鑑といえば、薬用植物や食用植物に重点が置かれ、図譜の描写も粗雑なもので識別するにも困難であったりもし、ましてや芸術的価値などほとんどありませんでした。
ところが、『アイヒシュテットの園』は、これまでのボタニカル・アートの概念を根底から覆したのです。
観賞用植物、薬用植物のほか野菜類、ヒマシ油やarum lilies(オランダカイウ)などの外来植物を含む図譜から構成され、ほぼ実物大で、細部まで精密に描かれています。
図版は57×46cmと大型で、そのコンセプトは斬新で、レイアウトも芸術的に優れており、手彩色により見た目の効果を更に高めています。
この植物図譜の初版は1613年で、367枚の銅版画から構成されました。
初版では300部を印刷し、販売に4年を費やしました。
廉価版と豪華版の2種類の版が出版され、廉価版は白黒印刷で参考資料用とされました。
豪華版は、上質紙を用い手彩色が施され、1冊500フローリンだったのに対し、廉価版は35フローリンでした。
ベスラーはこの植物図譜を出版したおかげで、ニュルンベルグの一等地に素敵な家を2500フローリン(豪華版5冊分)で購入することができたそうです。
この植物図鑑は、その後2回、1640年および1713年にニュルンベルグで同じ版を用いて増刷されました。
しかし、この原版は1817年にRoyal Mint of Munichによって破棄されてしまい、残念がら現存していません。
また、この庭園はHerzog Bernhard von Weimar率いるスウェーデンの進入軍により略奪されてしまいました(1633年)が、1998年に、アイヒシュタットに再建され、現在公開されています。
ビブリオアート・ベスラーシリーズのカタログはこちらをご覧下さい → http://www.bibliopoly.co.jp/besler.html
バシリウス・ベスラー(Basilius Besler)(1561-1629)は、ニュルンベルクの高名な薬剤師および植物学者で、ボタニカル・アート史上極めて重要な植物図鑑"Hortus Eystettensis"(『アイヒシュテットの園』)を出版した人物として最も良く知られています。 彼は、ババリア地方アイヒシュテットの司教を勤める、ヨハン・コンラート・フォン・ゲミンゲン(Johann Konrad von Gemmingen)と交流があり、司教が所有する庭園の園長を務めました。
司教は大変熱心な植物愛好家で、自ら所有する庭園の運営にも並々ならぬ情熱を傾け、その結果この庭園はその規模と植物の多様性において当時のヨーロッパでも最も重要な植物園の一つに数えられました。
司教のヴィリバルトブルク(Willibaldsburg)の邸宅は、町を見下ろす小高い丘の上に建てられ、この邸宅を囲むようにして庭園が営まれていました。
この庭園は、ベスラーの同僚であり、医師および植物学者でもあった、ヨアヒム・カメラリウス(Joachim Camerarius)(1534-1598)が1596年に設計しました。 カメラリウスの死(1598年)後、ベスラーは、カメラリウスが育てていた植物をアイヒシュテットに移し、そこで植物の栽培、管理を続けました。
司教は、この庭園で育てられていた植物の図譜の編纂をベスラーに命じましたが、しかしながらこれが完成するまでには16年を要し、司教は出版目前にして他界してしまいます。
当初ベスラーは、彼の兄弟やAugsburg(アウグスブルグ)出身のWolfgang Kilian(ヴォルフガング・キリアン)など、当時のドイツの優れた素描家、彫版工の支援を受け、出版の準備を進めましたが、司教が死去した後は、Nurnberg(ニュルンベルグ)のグループに引き継がれました。
植物図鑑『アイヒシュテットの園』が出版されるまでは、植物図鑑といえば、薬用植物や食用植物に重点が置かれ、図譜の描写も粗雑なもので識別するにも困難であったりもし、ましてや芸術的価値などほとんどありませんでした。 ところが、『アイヒシュテットの園』は、これまでのボタニカル・アートの概念を根底から覆したのです。
観賞用植物、薬用植物のほか野菜類、ヒマシ油やarum lilies(オランダカイウ)などの外来植物を含む図譜から構成され、ほぼ実物大で、細部まで精密に描かれています。
図版は57×46cmと大型で、そのコンセプトは斬新で、レイアウトも芸術的に優れており、手彩色により見た目の効果を更に高めています。
この植物図譜の初版は1613年で、367枚の銅版画から構成されました。 初版では300部を印刷し、販売に4年を費やしました。
廉価版と豪華版の2種類の版が出版され、廉価版は白黒印刷で参考資料用とされました。
豪華版は、上質紙を用い手彩色が施され、1冊500フローリンだったのに対し、廉価版は35フローリンでした。
ベスラーはこの植物図譜を出版したおかげで、ニュルンベルグの一等地に素敵な家を2500フローリン(豪華版5冊分)で購入することができたそうです。
この植物図鑑は、その後2回、1640年および1713年にニュルンベルグで同じ版を用いて増刷されました。
しかし、この原版は1817年にRoyal Mint of Munichによって破棄されてしまい、残念がら現存していません。
また、この庭園はHerzog Bernhard von Weimar率いるスウェーデンの進入軍により略奪されてしまいました(1633年)が、1998年に、アイヒシュタットに再建され、現在公開されています。
ビブリオアート・ベスラーシリーズのカタログはこちらをご覧下さい → http://www.bibliopoly.co.jp/besler.html
P.J.ルドゥーテの作品について
2012/05/15 07:23
ジャンル:ルドゥーテ ビブリオアート ユリ科植物図譜 バラ図譜 美花選
Category:ルドゥーテ
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◆『ユリ科植物図譜(Les liliacees)』,1802-16
ルドゥーテの代表作です。
有名な『バラ譜』で描いた双子葉植物のバラに対し、本図譜は単子葉植物を取り上げ、ユリに限らず、アマリリスやアイリス、蘭なども描かれており、その多様性に魅力が感じられます。
ジョセフィーヌのマルメゾン城で、最も華やかに生活していた頃の作品です。
◆『バラ図譜(Les roses)』,1817-21
ナポレオン皇妃、ジョゼフィーヌは、マルメゾン城に広大なバラ園を営み、世界中から多種多様なバラを蒐集していました。
ルドゥーテは、このバラ園でそのような数々のバラを描いて出版したいと考え、ジョゼフィーヌからバラ園に出入りする許可を得ました。
以来、ルドゥーテはマルメゾン城のバラの絵に没頭することとなりました。
ルドゥーテはいくつかの植物図譜を出版しましたが、その中でも『バラ図譜』は最高傑作といわれています。
この作品は全部で3巻からなり、169種類の図譜を含み、ジョゼフィーヌの死後の1817年から1821年にかけて出版されました。
◆『美花選(Choix des plus belles fleurs)』,1827-33
ボタニカルアート史上最高傑作とも称される、『ユリ科植物図譜』や『バラ譜』は専門家向けだったのに対し、本書はより一般的な読者を想定して製作されたものです。
植物学的な観点からは批判もあるようですが、一方でルドゥーテの画家としての魅力を最も良く表しているとの評価もあります。
現在、ビブリオポリでは『バラ図譜』から21作品、『美花選』から19作品をビブリオアートにしています。
これからも少しずつ作品数を増やしていく予定です。
ぜひ、お好きな作品をお部屋に飾ってください。
ビブリオアートカタログはこちらからどうぞ → http://www.bibliopoly.co.jp/art.html
ルドゥーテの代表作です。
有名な『バラ譜』で描いた双子葉植物のバラに対し、本図譜は単子葉植物を取り上げ、ユリに限らず、アマリリスやアイリス、蘭なども描かれており、その多様性に魅力が感じられます。
ジョセフィーヌのマルメゾン城で、最も華やかに生活していた頃の作品です。
◆『バラ図譜(Les roses)』,1817-21
ナポレオン皇妃、ジョゼフィーヌは、マルメゾン城に広大なバラ園を営み、世界中から多種多様なバラを蒐集していました。
ルドゥーテは、このバラ園でそのような数々のバラを描いて出版したいと考え、ジョゼフィーヌからバラ園に出入りする許可を得ました。
以来、ルドゥーテはマルメゾン城のバラの絵に没頭することとなりました。
ルドゥーテはいくつかの植物図譜を出版しましたが、その中でも『バラ図譜』は最高傑作といわれています。
この作品は全部で3巻からなり、169種類の図譜を含み、ジョゼフィーヌの死後の1817年から1821年にかけて出版されました。
◆『美花選(Choix des plus belles fleurs)』,1827-33
ボタニカルアート史上最高傑作とも称される、『ユリ科植物図譜』や『バラ譜』は専門家向けだったのに対し、本書はより一般的な読者を想定して製作されたものです。
植物学的な観点からは批判もあるようですが、一方でルドゥーテの画家としての魅力を最も良く表しているとの評価もあります。
現在、ビブリオポリでは『バラ図譜』から21作品、『美花選』から19作品をビブリオアートにしています。
これからも少しずつ作品数を増やしていく予定です。
ぜひ、お好きな作品をお部屋に飾ってください。
ビブリオアートカタログはこちらからどうぞ → http://www.bibliopoly.co.jp/art.html
P.J.ルドゥーテとスティップル彫版技法
2012/05/11 15:22
ジャンル:ルドゥーテ ビブリオアート スティップル彫版技法 ダッキーダック 大宮そごう バラ
Category:ルドゥーテ
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ピエール・ジョゼフ・ルドゥーテ (Pierre Joseph Redoute、1759-1840)は、南ネーデルランド出身のベルギー人で、ボタニカルアート史上最も優れた植物画家の一人に数えられます。
当初は、ルイ16世王妃、マリー・アントワネットの博物蒐集室付素描画家に任命され、フランス革命後は、ナポレオン皇妃、ジョゼフィーヌから寵愛を受けて宮廷画家として活躍しました。
生涯に有名な『バラ図譜』のほか、『ユリ科植物図譜』、『美花選』など多数の植物画を残しましたが、いずれも傑作で、「花の画家」、「バラの画家」とも呼ばれています。
ここで注目していただきたいのは、ルドゥーテの作品は「スティップル彫版技法」で描かれていることです。
普通の銅版画が線刻によるのに対し、ルドゥーテは点描による手法を用いています。
ビュラン (一種の彫刻刀) の先でつついて無数の刻点を作り、点描の密度によって明暗を生み出していく手法です。
この手法は微妙なぼかしの表現に優れており、ルドゥーテの植物図譜はこの技法を用いた代表的なものと言えます。
ビブリオアートでは、その細かい点描の表現も忠実に再現しているので、オリジナルの持つ雰囲気を感じていただけると思います。
大きいサイズのルドゥーテの作品は、現在ダッキーダックさんの店内に飾って頂いていますので、機会がありましたら是非そちらもご覧になってみてください。
ルドゥーテが展示されているダッキーダックの店舗はそごう大宮店、ルミネ池袋店、アトレ松戸店の3ヵ所です。
※ 下の写真はダッキーダック・そごう大宮店内の様子です。
ルドゥーテ作品のビブリオアートのカタログはこちらをご覧ください。
* 薔薇図譜 ・・・ http://www.bibliopoly.co.jp/redoute2.html
* 美花選 ・・・ http://www.bibliopoly.co.jp/redoute1.html
ピエール・ジョゼフ・ルドゥーテ (Pierre Joseph Redoute、1759-1840)は、南ネーデルランド出身のベルギー人で、ボタニカルアート史上最も優れた植物画家の一人に数えられます。 当初は、ルイ16世王妃、マリー・アントワネットの博物蒐集室付素描画家に任命され、フランス革命後は、ナポレオン皇妃、ジョゼフィーヌから寵愛を受けて宮廷画家として活躍しました。
生涯に有名な『バラ図譜』のほか、『ユリ科植物図譜』、『美花選』など多数の植物画を残しましたが、いずれも傑作で、「花の画家」、「バラの画家」とも呼ばれています。
ここで注目していただきたいのは、ルドゥーテの作品は「スティップル彫版技法」で描かれていることです。 普通の銅版画が線刻によるのに対し、ルドゥーテは点描による手法を用いています。
ビュラン (一種の彫刻刀) の先でつついて無数の刻点を作り、点描の密度によって明暗を生み出していく手法です。
この手法は微妙なぼかしの表現に優れており、ルドゥーテの植物図譜はこの技法を用いた代表的なものと言えます。
ビブリオアートでは、その細かい点描の表現も忠実に再現しているので、オリジナルの持つ雰囲気を感じていただけると思います。 大きいサイズのルドゥーテの作品は、現在ダッキーダックさんの店内に飾って頂いていますので、機会がありましたら是非そちらもご覧になってみてください。
ルドゥーテが展示されているダッキーダックの店舗はそごう大宮店、ルミネ池袋店、アトレ松戸店の3ヵ所です。
※ 下の写真はダッキーダック・そごう大宮店内の様子です。
ルドゥーテ作品のビブリオアートのカタログはこちらをご覧ください。
* 薔薇図譜 ・・・ http://www.bibliopoly.co.jp/redoute2.html
* 美花選 ・・・ http://www.bibliopoly.co.jp/redoute1.html
シーボルトの「フローラ・ヤポニカ」
2012/05/06 10:07
ジャンル:シーボルト フローラヤポニカ 日本植物誌 オタクサ アジサイ ビブリオアート ボタニカルアート 植物画
Category:シーボルト
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長崎のシーボルト記念館では、今年も「シーボルトとオタクサ展」が開催 されます。
開催期間 :平成24年5月18日 ~ 6月17
そこで、今回はシーボルトとフローラ・ヤポニカについて少し書きたいと思います。
『フローラ・ヤポニカ Flora Japonica』は、江戸時代末期に西洋医学を日本にもたらしたシーボルトが中心となって編纂した植物図鑑で、その題名が示す通り日本の草花を数多く収録しています。
精密に描かれた本格的な彩色図譜は植物学的正確さにおいて優れているだけでなく、その美しさにおいても古今東西のボタニカルアート(植物画)の中で最高傑作とみなされています。
ところで『フローラ・ヤポニカ』の美しい図譜は欧州の絵師によるものですが、その元となる原画を描いたのは日本人絵師川原慶賀です。川原慶賀の優れた才能に着目したシーボルトは、日本滞在中慶賀に多数の植物図を描かせました。
『フローラ・ヤポニカ』は、シーボルトの西洋合理主義に根ざした高い科学的見識と川原慶賀の類まれな画才の上に成り立っており、こうした背景により世界に冠たる植物図鑑が生み出されたと言えます。
シーボルト(1796-1866)はドイツの名門に生まれ、ヴュルツブルグ大学医学部教授だった祖父や父と同じく医学と自然科学を学びました。
大学を卒業して東インド会社に勤務した後、1823年に長崎出島の医官として来日しました。日本滞在中は、楠本 滝 と生活を共にし、日本人初の女医となる 稲 を設けました。
また、長崎市郊外に鳴滝塾を開設して湊長安等日本人医師に西洋医学や自然科学を教授し、日本の近代化に多大な影響を与えました。
1828年に帰国しようとしましたが、その際当時禁制品の地図や書物が荷物の中から発見され、幕府に捉えられてしまいます(いわゆるシーボルト事件)。翌年1829年に出国が認められ、帰国後は『フローラ・ヤポニカ』の編纂に打ち込みます。
学術性を高めるためにミュンヘン大学の植物学者ツッカリーニ教授(Joseph Gerhard Zuccarini)に協力を依頼し、共著者としています。
学名の命名に当たっては、嵩んだ出版経費を支援してくれたオランダ皇后Paulowniaの名前をそのままキリの学名(属名)としたり、また妻であった滝の愛称「おたきさん」に因なみアジサイにHydrangea otakusa という学名を当てたりと、シーボルトの律儀な性格を垣間見ることができます。
また、ツガ Tsuga sieboldii やヤマナラシ Populus sieboldii 等の学名には、シーボルトの名前が用いられ自らの足跡を残しています。
この他、アカマツ、ゴヨウマツ等に、シーボルト等(Sieb. & Zucc.)の命名による学名を多数見ることができます。
シーボルトのフローラヤポニカシリーズはシーボルト記念館(長崎)、リゾナーレ・八ヶ岳、渋谷Bunkamura・ナディッフモダンにて購入できます。
A5版シート : 1,000円 A4版シート : 2,000円
開催期間 :平成24年5月18日 ~ 6月17
そこで、今回はシーボルトとフローラ・ヤポニカについて少し書きたいと思います。
『フローラ・ヤポニカ Flora Japonica』は、江戸時代末期に西洋医学を日本にもたらしたシーボルトが中心となって編纂した植物図鑑で、その題名が示す通り日本の草花を数多く収録しています。 精密に描かれた本格的な彩色図譜は植物学的正確さにおいて優れているだけでなく、その美しさにおいても古今東西のボタニカルアート(植物画)の中で最高傑作とみなされています。
ところで『フローラ・ヤポニカ』の美しい図譜は欧州の絵師によるものですが、その元となる原画を描いたのは日本人絵師川原慶賀です。川原慶賀の優れた才能に着目したシーボルトは、日本滞在中慶賀に多数の植物図を描かせました。
『フローラ・ヤポニカ』は、シーボルトの西洋合理主義に根ざした高い科学的見識と川原慶賀の類まれな画才の上に成り立っており、こうした背景により世界に冠たる植物図鑑が生み出されたと言えます。
シーボルト(1796-1866)はドイツの名門に生まれ、ヴュルツブルグ大学医学部教授だった祖父や父と同じく医学と自然科学を学びました。
大学を卒業して東インド会社に勤務した後、1823年に長崎出島の医官として来日しました。日本滞在中は、楠本 滝 と生活を共にし、日本人初の女医となる 稲 を設けました。
また、長崎市郊外に鳴滝塾を開設して湊長安等日本人医師に西洋医学や自然科学を教授し、日本の近代化に多大な影響を与えました。
1828年に帰国しようとしましたが、その際当時禁制品の地図や書物が荷物の中から発見され、幕府に捉えられてしまいます(いわゆるシーボルト事件)。翌年1829年に出国が認められ、帰国後は『フローラ・ヤポニカ』の編纂に打ち込みます。 学術性を高めるためにミュンヘン大学の植物学者ツッカリーニ教授(Joseph Gerhard Zuccarini)に協力を依頼し、共著者としています。
学名の命名に当たっては、嵩んだ出版経費を支援してくれたオランダ皇后Paulowniaの名前をそのままキリの学名(属名)としたり、また妻であった滝の愛称「おたきさん」に因なみアジサイにHydrangea otakusa という学名を当てたりと、シーボルトの律儀な性格を垣間見ることができます。 また、ツガ Tsuga sieboldii やヤマナラシ Populus sieboldii 等の学名には、シーボルトの名前が用いられ自らの足跡を残しています。
この他、アカマツ、ゴヨウマツ等に、シーボルト等(Sieb. & Zucc.)の命名による学名を多数見ることができます。
シーボルトのフローラヤポニカシリーズはシーボルト記念館(長崎)、リゾナーレ・八ヶ岳、渋谷Bunkamura・ナディッフモダンにて購入できます。
A5版シート : 1,000円 A4版シート : 2,000円
ジョン・テニエルが描いた「不思議の国のアリス」
2012/05/05 09:15
ジャンル:不思議の国 アリス テニエル ビブリオアート ナディッフ 絵本 挿絵
Category:不思議の国のアリス
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『不思議の国のアリス』は、ルイス・キャロルが1865年に最初に出版した児童文学です。
この作品では、アリスという名前の少女が、白ウサギの縦穴を地中深く落下して、人間の言葉を喋る動物や人間のようなトランプの札が住む不思議な国に迷い込み、そこから様々な幻想世界が展開します。
『不思議の国のアリス』の本文には、キャロルと友人たちに関わる逸話や、イギリスの学童が暗記させられる授業を風刺した引喩が数多く含まれています。
また、不思議な理
屈で展開する物語は、世界中の大勢の子供達、大人達を魅了し続けてきました。
本書の原題の直訳は、『不思議の国でのアリスの冒険』となりますが、日本では『不思議の国のアリス』の訳題で知られており、英語でも、しばしば省略形であるAlice in Wonderlandの題名が使われています。
この『不思議の国のアリス』の挿絵を描いたのはイギリスのイラストレーター、ジョン・テニエル(John Tenniel:1820~1914)です。
テニエルは、その作品の高い芸術性やユーモア溢れる個性的な表現、動物の生態への豊富な知識をダグラス・ジェロイド(Douglas Jerrold)に買われ、イソップ童話などの挿絵を依頼されました。
これは1848年に出版されています。
テニエルは、 カトリックとの対立により『パンチ』を去ったリチャード・ドイル(Richard Doyle)の代わりとしてマーク・レモン(Mark Lemon)に誘われ、1850年のクリスマスから風刺漫画誌『パンチ』のスタッフとして参加するようになりました。
彼は、19世紀半ばから約50年間にわたり『パンチ』で数多くの風刺漫画を手がけています。
ビブリオポリではこのテニエルの作品をビブリオアートにしています。
★ テニエルのビブリオアートカタログはビブリオポリのホームページをご覧ください。
尚、渋谷東急Bunkamura B1Fのナディッフ・モダンでは常時販売しておりますので、こちらにもお出掛けください。
『不思議の国のアリス』は、ルイス・キャロルが1865年に最初に出版した児童文学です。 この作品では、アリスという名前の少女が、白ウサギの縦穴を地中深く落下して、人間の言葉を喋る動物や人間のようなトランプの札が住む不思議な国に迷い込み、そこから様々な幻想世界が展開します。
『不思議の国のアリス』の本文には、キャロルと友人たちに関わる逸話や、イギリスの学童が暗記させられる授業を風刺した引喩が数多く含まれています。
また、不思議な理
屈で展開する物語は、世界中の大勢の子供達、大人達を魅了し続けてきました。 本書の原題の直訳は、『不思議の国でのアリスの冒険』となりますが、日本では『不思議の国のアリス』の訳題で知られており、英語でも、しばしば省略形であるAlice in Wonderlandの題名が使われています。
この『不思議の国のアリス』の挿絵を描いたのはイギリスのイラストレーター、ジョン・テニエル(John Tenniel:1820~1914)です。
テニエルは、その作品の高い芸術性やユーモア溢れる個性的な表現、動物の生態への豊富な知識をダグラス・ジェロイド(Douglas Jerrold)に買われ、イソップ童話などの挿絵を依頼されました。 これは1848年に出版されています。
テニエルは、 カトリックとの対立により『パンチ』を去ったリチャード・ドイル(Richard Doyle)の代わりとしてマーク・レモン(Mark Lemon)に誘われ、1850年のクリスマスから風刺漫画誌『パンチ』のスタッフとして参加するようになりました。 彼は、19世紀半ばから約50年間にわたり『パンチ』で数多くの風刺漫画を手がけています。
ビブリオポリではこのテニエルの作品をビブリオアートにしています。
★ テニエルのビブリオアートカタログはビブリオポリのホームページをご覧ください。
尚、渋谷東急Bunkamura B1Fのナディッフ・モダンでは常時販売しておりますので、こちらにもお出掛けください。
